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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)190号 判決

原告 三宅清

被告 国

代理人 荒井真治 外一名

主文

一、慰謝料の支払を求める旨の原告の請求を棄却する。

二、東京地方裁判所執行吏代理が作成した送達報告書の破棄訂正を求める旨の原告の訴を却下する。

三、訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、原告が昭和三七年六月五日東京地方裁判所に対して、文部教官時枝誠記の公務員職権濫用被疑事件につき、被疑者時枝誠記を審判に付すべき旨を請求したところ、同裁判所が同年一一月二〇日請求棄却の決定をしたこと、右決定書謄本を時枝誠記に送達するにあたり、東京地方裁判所執行吏平山宗一郎代理熊谷岳雄が同年一二月一〇日付で作成した送達報告書中「送達書」欄の原告の氏名の上に「被疑者」なる表示をしていること、原告は右審判請求事件については「請求人」の地位にあり、したがつて前示送達報告書中「送達書類の表示」欄の原告の氏名の上には「請求人」なる表示をすべきであつたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、そこで、まず前示東京地方裁判所執行吏代理作成の送達報告書中の原告主張の表示が原告を侮辱し不法行為を構成するものであるか否かにつき判断する。

(証拠省略)を総合すると、本件送達報告書は東京地方裁判所執行吏合同役場の事務員高橋和行が他の書類とともに作成の準備をしたものであるが、その際同人は報告書用紙の「送達書類の表示」欄の不動文字「被告人」を「請求人」と訂正すべきところを、誤つて「被疑者」なるゴム印の押されている用紙を使用し、その表示の下に原告の氏名を記入したこと、右報告書用紙を受取つた執行吏代理熊谷岳雄もその誤りに気づかないで送達を了え、原告の肩書が「被疑者」となつているままの右報告書をその職務権限にもとづいて作成し、これを東京地方裁判所に提出し、現在当該事件記録中に送達を証する資料として編綴されていることが認められ、右認定を妨げる証拠はない。

ところで、一般に侮辱とは他人の人格を蔑視する価値判断を表示することであつて、客観的にみてそれによりその人の社会的評価を低下させるおそれのある行為を指称するものと解するのが相当であり、かりにそれによつて主観的に社会評価が低下しもしくは名誉感情を侵害されたと考えるだけでは足りないというべきである。

これを本件についてみるに、右認定の事実に前示第一の事実をあわせ考えると、本件送達報告書のうち送達書類の表示欄に本来「請求人」たる他位を有する原告の肩書に「被疑者」なる記載がされたのは、右報告書用紙に所定の事項を記載し、送達事務の補助をした事務員高橋和行が誤記したものであり、これを受取り送達報告書を作成した執行吏代理熊谷岳雄もこれを看過しただけであつて、右両名に原告を侮辱するなどの意思が存在しなかつたこと、右報告書は限在関係事件記録に編綴きれているが、右報告書中の表示が誤りであることは一件記録に徴して一見明白であり、かつ右報告書はその性質上多数人の目に触れるものではないことが認められる。しかして、右事実によれば、前示送達報告書中の原告の指摘する表示記載によつて、客観的にみて該表示の存在により原告の社会的評価が低下するものとは到底認められないから、原告がいかにその表示によつて主観的に自己の社会的評価が低下しもしくは名誉感情を侵害されたと考えたとしても、右表示が法律上、原告を侮辱するものとはみられないのはもとより、それによつて被告の名誉を毀損し、もしくは人格権を侵害するものとして不法行為を構成すべき違法性が認められないと解するを相当とする。したがつて、原告の被告に対する右不法行為の成立を原因とする慰謝料請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当たるを免がれない。

三、つぎに東京地方裁判所執行吏代理が作成した前示送達報告書の破棄訂正を求める請求について検討する。

本件送達報告書が東京地方裁判所執行吏代理によつて、その職務権限にもとづき作成され、その後同執行吏代理より東京地方裁判所に提出され、事実を証する資料として関係記録中に編綴されていることは前示のとおりである。

ところで、右のような送達事実の報告文書たる性格をもつ送達報告書がすでに裁判所に提出された後、右報告書中の明白な誤記をいかにして訂正するかに関しては直接規定するところがないが、いずれにしても、これを訂正するのはその作成者たる執行吏代理の権限に属するから、もし関係者においてその訂正を求めるときは、当該作成者たる執行吏代理にその旨の申出をして訂正方の職権発動を促がし(作成者において明白な誤記があり、かつこれを訂正する必要があると判断したならば、当該文書を保管中の裁判所の同意を得て訂正することが可能であろう。)、もし作成者が任意に訂正しないときは、司法行政上の監督機関に対し適切な処置をするよう申立てる手続をとるべきものと解する。原告はそのほか、右報告書を破棄すべきことを求めるが、送達報告書は送達機関によつて送達のされた事実を証明する報告文書であるから、それが裁判所に提出され記録中に編綴された後は、かりに右書面中に誤記があつたとしても、作成者はもとより何人もこれを破棄することは許されないところである。すなわち、被告は送達報告書の訂正ないし破棄については何らの権限をも有するものではない。

してみれば、被告に対し東京地方裁判所執行吏代理の作成した前示送達報告書の破棄訂正を求める原告の訴は不適法というほかはない。

四、よつて、原告の被告に対する本訴請求のうち、慰謝料の支払を求める部分は棄却し、前示送達報告書の破棄訂正を求める部分は却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣学)

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